揺れる言霊

役不足は「本人の能力に比べて与えられているものが小さすぎる」というのが本来の意味だ。

一方で、言葉は変わる。役不足も力不足の意味でメディア等が広く使うようになっているから、力不足の意味で定着していくのかもしれない。

「うがった見方」は本来の意味がどうこうと説明をする以前に「ひねくれた見方」という意味なのだと思っていたw あちゃー。こちらも、ひねくれた見方というニュアンスで浸透していく可能性はある。

「正しい使い方」と「誤用」の狭間に揺れる言葉たち。あまりに学がない人たちが話す言葉、語彙の知識に長けている人たちが話す言葉。それは合っているだの間違っているだのそういう不毛な争いを産む恐れもある。

役不足と穿った見方がこの先誤用とされている今の使い方が正しいとされるのはいつになるのだろうか。誤用だと決めつけていちいち正していけるほどの絶対的な言葉というのはむしろ存在しているのか?

ここまで来たら江戸や明治の頃の人たちと会話をしたい。どれだけの言葉を誤用だ正しいのだと言われるのかと。