「ダブルスタンダードにならないようにする」のは、自分の過去の発言・行動を記憶する力、抽象的な一貫した信念を発言・行動に具体化する力、自分の発言・行動を客観視する力が求められるので、実は高度な思考ができる人でなければ難しいのではないか。
— しゅういちろう (@shu1law) October 20, 2019
「あの時は〜って書いてたのに、さっき読んだ記事だと全然ニュアンスが違うじゃないか!」というのはたぶんこのブログでは起こっていることだと思う。
毎日、考え方や感情は変わってゆく。過去の記事と最近の記事を読み比べてダブルスタンダードだ、と探している人もいらっしゃるのだと思うけど。
信念というのか、「これだけは譲れない」という部分はあって、そこは変わらない。と言うよりもそれは変えてはいけない。自分とは何か?という禅問答になってしまう。「これだけは譲れない」ことが自分であるということなのかもしれない。
根っこの部分はそれで良くても枝葉は周りに合わせて適応していく必要は場合によってはあるのだろう。新しいテクノロジー、新しい言葉、新しい何か…。
下書きの段階で具体化、客観視する力、文章の構成等のバランスを考えることはあるが、その段階でもちょっと前の自分と違っている。でもそれで良いやと思う。
たぶんコロコロ変わってる、表面的なところでは。