頻繁に見つかるのは確かだけれど、大したものではない。でも、その大したものではない「幸せ」を、丁寧に扱った方が良い。ちゃんと拾い上げて、綺麗に磨く。
インターネット、特にSNSでは「大した幸せ」を目にすることが多い。いいねやリツイートを得るためには「大した幸せ」でなければならない。
もしかしたら、実は大したものではない幸せを大したことがあるように偽っているだけなのかもしれないが、少なくとも表面上はキラキラした世界が広がっている。
「自分が幸せならそれで幸せ」であって、本来は承認欲求に繋げていくものではなかったはず。しかし、誰もが簡単に自分のアカウントを持つことができて、自由に表現できる時代。
そもそも、「自分の意見を自由に言える」事自体大した幸せなのだが、それだけでは飽き足らなくなってくるのだ。
自分の意見が偶然にも世間の考えと一致したり、トレンドワードに乗れると大した幸せを得た気持ちになることはある。それにいいねやリツイートがカウントされることもある。
いいねやリツイートは分かりやすい指標。「自分の意見を自由に言う」より「自分の意見を世間に寄せていく」とそれは容易いのかもしれない。
でも、本当にそれは自分が言いたかったことか?
自分の意見をちゃんと言うのは孤立しがちで、勇気が要るとは思うが、不本意ではないか。
「自由に表現して良いよ!」と送り出されているのに顔色をうかがっているのは勿体無いように感じてしまう。
"ENJOY THE LITTLE THINGS"、これは宝塚の喫茶店に飾ってあったものだ。
「どんなに小さなことでも楽しむ」なんて素敵な言葉だ。「大したことない幸せ」を丁寧に扱いたくなる。
これが出来れば人は強いんじゃないかな。